デザイン思考では世界を変えられない?
MIT Technolody Reviewでこういう記事を読んだ。
> 世界を変えるはずだった「デザイン思考」とは何だったのか?
> Design thinking was supposed to fix the world. Where did it go wrong?
なかなか手厳しい・・・というかIDEOを名指しでプロジェクトまで名指しで「IDEOは成功と言っているが、実際はその後を継いだ地域のスペシャリストのおかげだ」などと、IDEOからしたら散々な言われようだ。
記事が指摘する問題点として、ひとつはデザインコンサル会社は実装までしない、ということ。一般的なコンサル会社も2種類あるかもしれない。やり方を示すだけで実行するのは自分たちでやってねというスタイルと、実行を一緒にやるというスタイルだ。デザインコンサルだけでなく、いわゆるブランディングファームも同様かも。現実問題としてずっと一緒にやっていくわけにも(コスト的にとか人手的に)いかないからねえ。しかし結局、最も価値があるのはアイデアを考えることではなく、実行しながら改善していく地道なプロセスなのだ。
さらに本来デザイン思考は、地位の高い人や責任ある人が何かを決めるのではなく、フラットにアイデアを出すところが良いところなのだと思うのですが、コンサルという事業の性質上、コンサルタント(ファームやデザイナー)の言うことのほうが価値があるという暗黙の了解が存在し、フラットどころかむしろチーム内ヒエラルキーの問題があることが指摘されている。これまで例えば広告クリエイティブの世界でも、クリエイティブディレクターやアートディレクターは(たとえ本人たちは無意識だとしても)「自分たちのほうが頭がいい、経験がある、スキルがある、だからあなたたちの考えよりも自分たちのアイデアに価値がある」という立場を取らざるを得なかった。それはそうでないとクライアントからお金をもらう理由が無くなってしまうからで。
これからさまざまな課題に対応するための姿勢として、まずはプロジェクトで中心にあるべきなのはユーザーでありずっと関わっていく当事者・専門家なのだという当たり前のことを認めつつ、ではそこにデザイナーが果たせる役割とは?を考えていかなければならない。デザイナーのこだわりとユーザーテストの結果はどちらが価値があるのか?クライアントの経験則とかつて無い斬新なアイデアはどちらが価値があるのか?
自分自身の中にもまだ明確な答えがあるわけではないですが、なんとなく、今必要なイノベーションというのは斬新なアイデアとかすごく見た目が派手とかいうものではなく、当たり前だけど今までできていなかったことをやり抜くためのツール、みたいなものなのかなと。そのためにデザイン思考をもう少し先に進めた新しい考え方のフレームを示すことが必要だと感じています。
※写真は会社の観葉植物に咲いていた謎の花